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【2018/3/13清見寺⇒お寺のサイトに変更しました】

八木間古墳、歯痛観音の「西来寺」を追加しました。


このサイトでは山と海に囲まれ、興津川がそそぐ温暖な気候の清水興津の町を紹介します。

興津の町は国道52号線で甲府へ、国道1号線(バイパス)で沼津へ、
海路は清水港より駿河湾フェリーにて伊豆の土肥まで、それぞれ約1時間で行く事が出来る交通の交叉する重要な拠点です。
静岡市内にある旧東海道の二つの峠(さった峠、宇津ノ谷峠)と6つの宿場町(蒲原、由比、興津、江尻、府中、丸子)をつなぐエリアの東海道二峠六宿の一つの興津宿として知られ、昔はミカンの生産地としても知られていました。

私は興津で生まれ興津で育ちました。そして、今回この興津の町を紹介するというテーマでホームページの制作に入り、勝手ながら私の主観で知っている場所を紹介しています。
調べているうちに、私自身があまりにも知らなかった事が多く、身近なものに無関心だった事に気付かされました。

今回の掲載に当たりご協力してくださった方々に感謝を申し上げます。
これからもこのサイトは更新を継続していきますので、いろいろ興津に関する情報やご意見を伺えるとたいへんにありがたいと思います。
サイトの一番下の【連絡先】又はHOMEの【問い合わせ】よりお寄せ下さいませ。

   
興津の地図

白鳳時代、清見が関と共に創設され、足利尊氏・豊臣秀吉・徳川家康等歴史上の名高い人々とゆかりが深く、明治天皇の御座所もあります。
五百羅漢・琉球王子の墓・樗牛の賞賛した名鐘・臥竜の梅・咸臨丸記念碑等があります。庭は国指定の名勝になっています。(駅から1.2km)

さった峠は江戸時代東海道の難所として、また風光絶佳の地としても知られています。
ここは観応の騒乱(1351年)で足利尊氏と弟直義の戦った地であり、永禄11年(1581年)の武田と今川、翌12年(15282年)武田と北条の対峙した古戦場でもあります。(峠入口まで駅から2km)

興津川は全長52キロメートルで東日本トップにアユ釣りが解禁になります。
ここで釣れるアユの姿と味の良さは定評があり、当日は関東方面からの太公望も集まりたいへんにぎあいます。

果樹研究所のプラタナス並木の樹は明治35年にわが国に一番初めに植えられたプラタナス(スズカケ・スズカケノキ)であります。
東大のイチョウ、北大のポプラと並んで明治時代に作られた刈込並木として日本三大並木の一つになっています。

明治・大正・昭和三代にわたる大政治家西園寺公晩年の別邸だった坐魚荘は大正8年に建てられ、以来昭和15年92歳で亡くなるまで22年間の住居であった。
歴代の総理重臣の往来はげしく「興津詣で」の言葉が生まれた。
現在の建物は復元され一般公開されている。(駅から約1.4km)

あんこのふるさと興津とは承元寺町に住んでいた北川勇作氏があんこを作る機械を発明し、機械による製あん技術を発案しました。
同じ承元寺町に住む内藤幾太郎氏は北川氏を援助し、自らも開業し成功を収めました。
興津の承元寺町の八幡神社にはふたりをたたえる碑が昭和12年に全国の製あん業者の手によってたてられました。

東海道興津宿の旧国道沿いにある、1925年創業の茶問屋山梨商店が運営する和カフェ
漆喰壁や天竜杉など木のぬくもりに包まれた町屋風の店内は、店主手作りの真空管アンプから、 ジャズやボサノバが流れ、大人の隠れ家的な雰囲気。お客様の8割以上が女性客です。

潮屋は、明治30年創業。和菓子一筋、皆様へ変わらぬ味をお届けして参りました。
和菓子は、新鮮なものですので当店では、ひとつひとつ心を込めて作っております。
長年の味「宮様まんぢう」は創業当時より、継承された自家製酒種で製造しております。